2014年

5月

08日

マクロビオティックと向き合ってみようかな…

僕は生まれてから18年マクロビアン。

 

両親がやっていたからそうなったけど、同じような境遇で生まれた人はどのようにマクロビオティックに対して思っているのか、ちょっと気になる。

 

大きく2つに分かれるんじゃなかろうか。

 

Aタイプ→そのままマクロビオティックの生活を送り続ける人、マクロビオティックの考え方なども好きな人

Bタイプ→反発して、マクロビオティックを嫌いになる人、まったく通常の食事に戻る人。

 

割とどっちかな気がする。

少なくとも僕の知っている人はだいたいどちらかに入って来る。

 

じゃあ僕はどっちか、というと、どちらでもない(いや、最近はAよりなのかな…)

 

ただ、僕は周りの人が思っている以上にマクロビオティックに対してネガティブなイメージがあった。

 

それはなぜか、大きく分けると2つの理由がある。

①マクロビオティックをやっている!という人であんまり元気じゃない、幸せそうでも無い人に結構会っているから

②マクロビオティックが正しい、他の食事をしている人は違うというような排他的な人が結構多い(お肉は悪!砂糖は悪!というような)

 

もちろんマクロビオティックをやっていて、幸せで元気そうで全く排他的じゃない人もいっぱいいる。そういう人は頭で考えるというよりも身体で分かっている感じだ。

 

なんか排他的な人ややっている割には幸せそうに見えない人は頭で考えて、自分の正しさを強調したいためにそうなっているようにも見える。

 

マクロビオティックなんて賛否両論の記事はいくらでもある、やってよかった!から、あんなのやるもんじゃない!まで。

 

まあ、どっちだっていいんじゃないかなというのが正直なところ。

 

ただ、最近マクロビオティックに近い?仕事をしていることからも、マクロビオティックの面白さにも気づき始めた部分もある。

 

非常に面白い哲学とものの考え方があるなあ、と。

あれは陽、あれは陰、というような考えばっかりをしている人にはなりたくはないが、うまく使える食といのちの智恵はやはりあるなーと思う。

 

ということもあり、これからマクロビオティックと向き合いながらいろいろ考えていこうと思う。

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2014年

2月

10日

守破離について

こんにちは、きおまです。

まだ春の足音は聴こえてこないですね、でも天気が良くて気持ちよいです。

 

「マクロビアン」といいながら最近マクロビオティックの話しにあまり触れていないので、今日はちょっと触れてみます。

半断食セミナーの中でも伝える内の1つですが「守破離」について。

 

守破離は日本の武道や茶道などの子弟関係のあり方や、日本文化が進化・発展した過程のベースとなる思想などですが、「マクロビオティック」というものを漢字変換すると「食養道」でしょうか。

 

「守」は物事を身につける際には、まずその型を覚えることです。マクロビオティックでもある程度の型はあります、どういったバランスで食べるとか、いろいろ。

 

「破」は、まずその型を守って覚えたら、破ってみる、他のものも取り入れて見るということです。いのちというのは全員違うもので、同じ型が当てはまるものではないため、型を自分のいのちにも適応できるようなアレンジメントが必要です。

 

玄米を食べれば良い、先生の言ったことを守らなければいけない、しかも最初に頭で良いものだと思えば思うほど守ろうと思ってしまう、むしろそれが自分を縛るようになってしまい、結果窮屈な人生になってしまう、これでは本末転倒です。

 

「離」は「守」「破」を通過し、何事にもとらわれない(離れていき)自分の境地を作り、生み出していくようなことです。

破っていく過程で型をじぶんのいのちに合わせてアレンジしながら、最終的には自由自在になっていく。

 

「食養道」という無限に広く、食を通して自然や宇宙と繋がる世界を実体験していくものの中では、この「守破離」という考えはとても良いと思います。

 

僕はたまにマクロビオティックに対するネガティブな言葉を聞きますが、「○○は食べちゃだめ」といった「守」に固執するあまり自分自身が窮屈になってしまっている人たちに対するイメージなのかもしれません。

 

最初から最後まで「守」の人よりも、「守→破→離」を経験した上でやっぱり「守」が一番、となる人では気持ちの自由度も楽しさも全然違ってくると思います。

Macro(大きな)bio(いのちの)tic(術)といった語源があるように、より大局的に自由自在に考えていくとマクロビオティックがもっと面白いものになっていくような気がします。

 

今日は、セミナーの講義の1コマを引用しての「守破離」についてでした。

 

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2014年

2月

07日

断食について

断食とは

 

人は食べられなくなると死んでしまいます、当たり前の事です。

「断食」とは食を断つことです、ある意味死に向かう行為のようなものです。

 

でも、断食の歴史は非常に古いですし、現代においても様々なやり方などで行われています。

イスラムではラマダンといって1ヶ月間、日が出ている間は食べないというのも宗教上の重要な行為としてやっています。

 

今日は、断食と宗教の関わりや、断食とは?ということを考えてみます。

 

断食と宗教の関わりは非常に深いです。

「イエスは荒野で40日間断食を行った」

「仏陀は苦行の1つとして断食を行った」

「マホメットは断食後に神より啓示を受けた」

といったように、断食をしたということが記されています。

 

他にも歴史上の偉人などだと、プラトン・ソクラテス・ピタゴラス・ニュートン・エジソン・カント・ルソー・二宮尊徳などが断食をしていたらしいです。

 

こういった人たちは、なぜ「断食」というものをしたのでしょうか?

 

プラトン「最近食べ過ぎちゃって、ダイエットのため断食したんだよね〜」

ソクラテス「あ、お前も? やっぱり哲学系って動かないから太るんだよね〜、俺もやろう」

 

…とかはないですよね

 

仏陀が苦行として行った、ということからも、これらの人は断食「精神的な修養の1つ」としてやっているのだと思います。

 

「断食」と「禅」は結構近いものだと感じます。

 

仏教での禅は、人間は本来心の中に仏がいる、ただそれが「エゴ・自我・執着」によって曇って見えなくなっている。という前提に立ち、座禅や修行などでエゴや執着を取り除き、本来の自己・内仏性・空の状態、になることを目指すものです。100%「空」の状態でいるのが、お釈迦さま。

有名な禅僧の方はこれを「心のメタボを取り除く」と言っていました。

 

断食もその感覚に近いものだと思います。

 

断食をやる方の目的は人それぞれです。「精神的に鍛えたい」というのもいれば、「単に痩せたい」「デトックスしたい」「感覚を研ぎすませたい」「体質を改善したい」「病気を治したい」など違います。

 

でも共通しているのは、「今現在の状態が望んでいるものと違う」それを「変えたい」ということです。

 

これは「本来の自分」の状態があるのに、それが「食の執着、ストレス、周りの環境」などによって曇っている状態で、それを取り除く手段として断食を選んだという事です。

 

断食とは何か、と言われると、僕は

「削ることで、本来の自分(自己の本質)を見ようとする行為」

なんだと思います。

 

「自分を変える」というよりも「本来の自分に還る」という方が近い気がします。

 

そして断食がこれだけの長い歴史の中で、現代でも続いていることを考えると、非常に興味深いです。

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2013年

12月

27日

食べない事と人類

こんにちは、きおまです。

 

断食関連の食べないことについて書いてみます。

食べないと栄養が足りなくなる、力が出なくなる、と思っている人は多いでしょう。

食べないことは身体に悪い、と思っている人も多いでしょう。

 

今日は、食べない事で身体に起こる現象と、食べないことの歴史について書いてみます。

 

長い人類の歴史の中で、日本を含む今の先進国ほど「飢餓」という事は縁遠くなっています。

長い歴史の中で人類は常に飢えとの戦いでした、その中で狩猟方法を改善したり、農耕ができるようになったり、家畜を飼うようになったりと、飢えない方法を編み出してきました。

 

同時に、身体も飢えに対して備えながら進化してきました。

 

高脂肪の食べ物や甘い食べ物などを美味しく感じるのは、「高エネルギー」の食べ物をより取り込みたいという生存のための1つの方法です。

 

人の脳を動かしているのは「ブドウ糖」です。これは1日何も摂取しないと切れてしまいます、それを補うために、身体に蓄えている脂肪や筋肉を分解して、脳に必要な成分に変換して送ります。

 

いざという時のために蓄えているのが脂肪であり、筋肉です。

これは170cm65kgの男性の場合でも、約40日間食べなくても生命が維持できるほどです(やらないで下さいね)

 

また糖尿病で知られているインスリンというホルモンは血糖値を下げるホルモンです。血糖値を下げるホルモンはインスリン1種類しかありませんので、出なくなった場合などは注射などで補うことになってしまいます。

 

一方で血糖値が低くなってしまった時に血糖を上げるほるもんは4種類もあります。アドレナリン・グルカゴン・成長ホルモン・糖質コルチコイドです。

 

人間は、飢餓などで血糖が低くなった場合の備えは4つのホルモンがありますが、過食での血糖が高くなった場合の備えは1つしかありません。

 

人類は飢餓には強く、過食には弱い構造になっています。

 

今の日本ぐらい食べ物が溢れているのはここ数十年という最近です。

 

それでも、栄養が足りない、栄養を補うために●●を食べよう、といった「加算法」の情報が非常に多いです。

 

自分が本当に、栄養が足りていない、と感じる人は別ですが、通常の健康体の人が、もっとタンパク質を、もっと栄養素を、となる必要はあるのでしょうか。

 

食の質が悪化したことでの栄養不足、というのはあるかもしれません(もし100円のハンバーガーを食べてタンパク質が補えると思っている人がいたら、うーーん、と思ってしまいますが)

 

日本を含む先進国の人たちは、1食減らす日や、1日断食する日というのを設けても問題無いです。

 

心地よい空腹感とその後の食べ物の美味しさ、も体験できます。

空腹は最高のスパイス、です。

 

また、ますます増える世界人口の胃袋を満たすには、生産性を上げるか、食べる量を減らすかしかありません。

 

食に関しても、もっともっとの加算法だけではなく、減算法で考えることは自分にとっても、未来にとっても、必要なことだと感じます。

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